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学問分類のひとつ「本学、末学」とは?学び、生きる上で大切なこと

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こんにちは! 健史です。

読書は、“学び”のひとつであり、知識・見識を習得するのに大いに有効です。

その学びこと学問には、科学、文学、生物学、会計学など、いろいろな分類があります。

ですが、そうした分類とは異った分類があります。

それは「本学」と「末学」という分類です。


学問分類の切り口や解釈の仕方は多々ありますが、これが学問分類の頂点にある分類であると思っています。

これは、ソフトバンクインベストメントのCEO 北尾吉孝さんから学んだことです。

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物事の本末、始め・終わりについて

タイトルの本学と末学の頭を取ると「本末」です。それで思い浮かぶのは「本末転倒」ではないでしょうか。

四書五経のひとつ「大学」の冒頭に「物に本末あり、事に終始あり。先後するところを知れば、則ち道に近し」とあります。

解釈は「物事には重要な部分と枝葉抹消があり、始めと終わりがある。何か物事を始める上で、何を先に行うべきか、何を後に行うべきか、その順序を認識して行えば、間違えが少なく、大きく道を踏み外すことはない」という意味です。

私なりの解釈を加えると「その順序を認識して行えば、間違えが少なく、効率良く、より早く、より正確に成し遂げられる」と考えています。


そして、物事は“本”だけで成立するものはなく、始めたら最後までやり通さなければ成立しないということ、枝葉抹消が不要とか、終わりを疎かにしてよいのではなく、枝葉抹消や終わりも重要であることを認識しなければなりません。

これは「末」という文字から感じられるものが、あまり良いイメージでない方もおられるのではないかと思って書きました。

辞書で調べてみると、確かに良くない意味もあります。

これは、物事の順序や構造を理解することが重要と言っているのだと思います。

本学と末学とは

本学と末学について、北尾吉孝さんがブログの中で述べられております。

種々の学問がある中で一番のベースになるのは、中国古典で昔から言われている本学、即ち今風に言えば、「人間如何に在るべきか」「人生如何に生きるべきか」といった人間学というものです。

そしてそこに加わるところの技能や知識といったものに関わる末学、換言すれば時務学と称するものがあるわけですが、此の末学の根底にはやはり本学をきちっと修めて置くということが大事ではないかと思います。

末学を以て本学とするのは正に本末転倒であって、人間としてこの世に生を受け、どのような人生を世のため人のために送って行くかということを学ぶ本の学こそが、あらゆる学の基本であり「本学なくして末学なし」というふうに私は考えています。

『学習の原点とは何か~社会の進歩、人類の進化~』 北尾吉孝日記 より

要約してみました。

・本学
人間如何にあるべきか、人生如何に生きるべきかと言った「人間学」
例えば、論語などを始めとする四書五経、言志四緑、伝記、哲学など

・末学
本学に加わるところの技術や技能と言ったものに関わる末学、換言すれば時務学
例えば、会計、情報技術、マーケティングなど

「時務」とは「時代に応じた重要な仕事」という意味ですが、そうした学問は時代の流れ・変化によって概念やパラダイムが変わっていく学問であるとも思います。勿論全てではなく変わらない部分もあります。


例えばマーケティングですが、大きくはメーカーが作ったものを売るといった「プロダクトアウト」指向から、消費者が何を求めているかを調査して作って売る「マーケットイン」指向へ変わってきています。

情報工学、言い換えるとコンピュータの世界も大きな汎用コンピュータが使われた集中処理の時代から分散処理の時代へ、そしてサーバー・パソコン、クラウドコンピューティングやIoT、AIと言った技術が次々に登場し変化しています。


しかし、本学は時代が変わっても変わることのない人間そのものに関する学問です。

だから、いつの時代、今の時代であっても紀元前以前の書物が読み継がれているのでしょう。

これを知ったのは50歳位でした。もっと早くに知っておけば良かったと思います。

本学は末学を学ぶ上でも重要、末学を学ぶ前に目を通して頂ければ

本学は「人間如何にあるべきか」、「人生如何に生きるべきか」と言ったことですが、「末学を学ぶ上でもベースになっている」と感じたことを紹介します。


ひとつには論語で、孔子がお弟子さんとやり取りする中に「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす。これ知るなり」という一節があります。

「知っている事は“知っている事”とし、知らないことは“知らない事”と自覚すること。これが本当の知ると言う事である」という意味です。

これは末学を学ぶ上においても「“何が分からないことなのか”が分からない」では始まりません。

少なくとも「何が分かっていて、何が分からないのか」「分かっていることは何か、分からないことは何か」をキチンと分別し認識して取り組めば、物事の理解や進捗は早まります。


その他にも末学を学ぶ上でも重要と思っている片言隻句を紹介します。整理する意味もあり上記の内容も列記します。

論語:知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす。これ知るなり。
訳 :知っているいる事は“知っている事”とし、知らないことは“知らない事”と自覚すること。これが本当の知ると言う事である。

論語:学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)
訳 :学んでもその学びを自分なりに考え、整理して理解し、自分の考えに落とさなければ、身に付くことはない。また、自分で考えるだけで書物や人から学ぼうとしなければ、考えが偏ったり凝り固まってしまい、正しいことが身に付かず危険である。

論語:下問を恥じず
訳 :自分より年齢、学年、地位などが下の人に対して、物事を訊いたり、教えてもらうことを恥ずかしいと思わないこと。

論語:過ちを改めざる、是れ過ちと謂う
訳 :人は誰でも過ちを犯すもの。しかし、本当の過ちというのは、過ちとわかっていながら改めないこと。

論語:過ちては改むるに憚(はばか)ることなかれ
訳 :自分が間違っていると自覚したなら、ためらうことなく、すぐに改めなければならない。無駄に世間体や他人の思惑を考えたり、見栄を張ったりして、改めるのを恐れてはいけない。


北尾さんも上記ブログで述べられておりますが、末学を学ぶ上でも本学を学んでおくことは重要です。

本学そのもの、もしくは本学の多くを目にすることがない・できない方もいると思います。

特に学生の方は、学校の勉強、受験勉強、クラブ部活動、勤労学生の方は仕事と学業の両立で忙しく。

他にも同様な片言隻句は多々ありますが、僭越ながら上記だけでも「頭の片隅に置いておき、躓いたときなどに思い出し対応して頂ければ」と思い、紹介させて頂きました。

そして、本学の大切さなどを分かって頂き、本学、人間学も学びの1つに加えていって頂ければ嬉しく思います。

生きていく上で大切にしていること

学び同様、普段の生活、生きていく上で大切にしていることがいくつかあります。

その中でもベースになっているのが、以下の片言節句です。

論語:己の欲せざる所は人に施す勿(なか)れ
訳 :自分がされて嫌だとおもうことは、人に対してすべきではない

易経:積善の家には必ず余慶(よけい)あり。積不善の家には必ず余殃(よおう)有り。
訳 :良い行い(善行)を積み重ねている家では、その子孫は必ず幸福になるであろう。悪い行い(不善)ばかり積み重ねている家では、その子孫は不幸や災難が及ぶであろう。

老子:天網(てんもう)恢恢(かいかい)疎(そ)にして漏(も)らさず
訳 :天に張られている網の目は広くて粗いようであるが、その網の目は悪事を働く者を漏らすことはない。悪事を働く者は必ず捕らえられ、天罰を受けることになる。


世の中、ほとんどの方はひとりで生きておらず、“人とのつながり”、すなわち社会の中で生活しています。

自分の考えや行動が原因で人から疎まれたり、過ちを犯しても反省せずに繰り返していれば、孤立していくことになります。


私は、人を傷つけたり人が嫌だと思う言動や過ちは犯したくありません。

それは、自分がされて嫌だと思う態度で接してほしくないですし、ちょっとした過ち、例えば不注意から自分の持物を壊してしまったことでさえ心に傷を負ったかのごとく不愉快になり落ちこんだりすることがあるからです。

そのために、まずは自分がされて嫌だと思われない態度や言動を心掛け、また当然ですが善悪を判断し注意を払い行動するようにしています。

そうした言動や気持ちというのは、人間が本来持っている良心から出るものと思っています。


物事の善悪の判断で学ばさせて頂き自分の判断基準にしているのは、北尾吉孝さんの仁・義・信です。

そしてもうひとつは、稲盛和夫さん(京セラ・KDDI創業者、日本航空名誉会長)の動機善なりや、私心なかりしかです。


とは言っても、私は完璧な人間ではありません。

時には心を乱し、良心に反した言動や失敗したり周りに迷惑をかけてしまうことがあります。

そうした時は、当事者に詫びたり、稲盛和夫さんから学んだことですが「神様、ごめんなさい」と言葉に出したり心でつぶやいて、“次からはしまい”(しないようにしよう)と反省します。

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大学の「格物」と「物に本末あり事に終始あり・・・」について

二宮尊徳も学ばれていた「大学」は、リーダーが学ぶべき書物とされています。

小学校の校庭などに、薪を背負い書物を読む尊徳若かりし頃の像が設置されているところがあります。

その手にしている書物には諸説ありますが、最も多いのは「大学」と言われています。


大学には「政(まつりごと)」すなわち天下を平定(人民に平和をもたらす)するためにリーダーが為すべき順番が書いてあります。

リーダーが為すべき順番は「八条目(はちじょうもく)」と言われ
・格物(かくぶつ)
・致知(ちち)
・誠意(せいい)
・正心(せいしん)
・修身(しゅうしん)
・斉家(せいか)
・治国(ちこく)
・平天下(へいてんか)
です。

大学を読み進めていくと出てきます。

八条目の詳細は、八条目についてに後述しました。


八条目でリーダーが為すべきことは「格物から始めること」と言っています。

格物には いくつかの解釈がありますが、調べてみて多かったものから認識したのは「物事の道理を知ること」です。


この記事を認めていたときに考え付いたことがあります。

大学の冒頭にある「物に本末あり、事に終始あり。先後するところを知れば道に近し」は、八条目の「格物」もしくは「格物のヒント」になること言っているのではないかということです。

すなわち

・「物事の道理を知ることである格物は、物事の順番や構造を認識・理解して取り組むこと・進めることである」と言っているのではないか

・格物はリーダーがなすべき最初のこと、格物から始めることが必要かつ重要なことなので、冒頭でも書かれているのではないか


「物に本末あり、事に終始あり。先後するところを知れば道に近し」については、“冒頭にあるのだから重要なことなんだろう”と思いつつも、なんとなく疑問というか唐突感を感じていました。

そして、上記のことを考え付いて、勝手ながら私の中でその疑問は解消しました。

浅学非才なゆえ間違った解釈かもしれませんが。


また、八条目は「政のためにリーダーが為すべきこと」と言われていますが、リーダーに限ったことではなくメンバーも生きて行く上で「格物→致知→誠意→正心→修身→斉家」は必要です。

大学を読み始めた時は、これまでにない知識だったこともあり「難しいなぁ」と思いましたが、繰り返し読んでいるうちに「なるほど」と理解できるようになりました。

大学も紀元前以前2000年以上も前の書物ですが、書かれている内容は今の時代にもフィットする内容です。

八条目について

八条目についての翻訳を紹介します。

古きよき時代に、輝かしい聖人の徳を世界じゅうに発揮し(て世界を平安にし)ようとした人は、それに先だってまず(世界の本である)その国をよく治めた。
その国をよく治めようとした人は、それに先だってまず(国の本である)その家を和合させた。
・・・ 中 略 ・・・
知能をおしきわめ(て明瞭にす)るには、ものとごについて(善悪を)確かめることだ。

ものごと(の善悪)が確かめられてこそ、はじめて知能(道徳的判断)がおしきわめられ(て明晰にな)る。

知能がおしきわめられて明晰になってこそ、はじめて意念が誠実になる。

意念が誠実になってこそ、はじめて心が正しくなる。

心が正しくなってこそ、はじめて一身がよく修まる。

一身がよく修まってこそ、はじめて家が和合する。

家が和合してこそ、はじめて国がよく治まる。

国が治まってこそ、はじめて世界じゅうが平安になる。

「大学・中庸」 金谷治 訳注 岩波書店 P.36

上記太字部分に「格物、致知、誠意、誠心、修身、斉家、治国、平天下」を挿入すると

ものごとの善悪が確かめられて[格物]こそ、はじめて知能道徳的判断がおしきわめられて明晰になる[致知]

知能がおしきわめられて明晰になって[致知]こそ、はじめて意念が誠実になる[誠意]

意念が誠実になって[誠意]こそ、はじめて心が正しくなる[誠心]

心が正しくなって[誠心]こそ、はじめて一身がよく修まる[修身]

一身がよく修まって[修身]こそ、はじめて家が和合する[斉家]

家が和合して[斉家]こそ、はじめて国がよく治まる[治国]

国が治まって[治国]こそ、はじめて世界じゅうが平安になる[平天下]

となります。

誠意にある「意念」には"おもい"とふりがながあります。

これを読んだときに"なるほど"と認識というか再認識したのは「斉家(せいか)」です。

家庭は言わば世の中・社会の縮図であり、もめごとを作らない、もめごとができてしまっても上手く解消することが必要です。

「プライベートな家庭生活も上手くいくこと」が必要ということは、上に立つ人でなくても同じことです。

悩みや心配事があっては正しい判断もできませんから。

最後に

この記事での片言隻句は、論語・大学・易経などの四書五経、老子といった中国古典からの紹介になりました。

学ぶことの大切さ、学ぶ上での大切さは、中国古典の他にも肉体的には壮年・老年、精神的には少年、プロフィール画像の年齢はで紹介した佐藤一斎先生の三学戒など多々あります。

言うまでもなく、本学である人間学も幅が広く奥の深い学問です。

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