こんにちは! 健史です。
日本の武士道にある
はご存知ですか。
2つの話を紹介します。
工藤俊作 敵兵を救助せよ
テレビでも放送されたようです、私は見ることがなかったのですが。
ネットでもたくさん紹介されています。
第2次世界大戦の真っただ中、ジャワ島の北方、スラバヤ沖でのことです。
イギリスの軍艦が日本軍の攻撃で船は沈没し、400名以上が救命具やがれきにつかまり救助を求めさまよっていました。
ですが20時間以上経っても救助の船は来ない、あまりの苦しさから自殺を試みよとする者まででてくる、まさしく窮地の状態。
そこに一隻の船が見え安心します、「救われた!」と思ったことでしょう。
しかし、その船は日本の駆逐艦である雷(イカヅチ)だったのです。
日本の駆逐艦と分かったとき、漂流者は絶望に変わったでしょう、敵国の軍艦なのですから。
「船の上から容赦なく攻撃されるだろう」と。
一方、雷の中ではたいへんな決断がなされ、命令が下されたのです。
中佐である工藤俊作艦長が発した命令は「敵兵を救助せよ!」でした。
それから、国際救難活動中の信号である旗が上がり、救助活動が開始されたのです。
雷の乗組員の数は約250名、救助したイギリス兵は422名。
助けた根拠にあったのが、日本の武士道にある「敵を愛すること」だったようです。
この事実が世に知れ渡ったのは、戦後50年以上を経過した2004年です。
当時助けられたイギリス兵が工藤俊作艦長にどうしてもお礼を言いたくて日本を訪れ、明るみに出たのです。
中村天風 窮地のアメリカ兵をお客様扱い
こちらも戦時中のことです。
アメリカ軍機が中村天風先生の疎開先の田んぼのなかに不時着して、飛行中尉(士官)が捕まり駐在所に捉えられました。
地元の方が、駐在所に集まり見ていたそうです。
そこに天風先生が通りかかり「なんだろう?」と駐在所を見てみると、
荒縄で両手両足を縛られ、目隠しをされ、駐在員がしきりに怒鳴っている状態。
分かるわけないのに日本語で。
天風先生が駐在所員に縄を解き目隠しを取るよう指示するも、上からの指示でやっていることであり、自分が罰せられてしまうから解きません。
天風先生が手足の縄を解いて目隠しも取り、椅子に腰かけさせ、堪能な英語で話しかけて困り事、「空腹ではないか?」と聞くと「水分補給がしたい」と。
水分を取らせた後、車を手配し天風先生もアメリカ兵と一緒に憲兵隊に行かれたそうです。
憲兵隊の隊長は、天風先生のお弟子さんでした。
それで憲兵隊の隊長に、私から、
「日本の武士道に敵を愛するところにあることは知っているな」
「存じております」
「たとえ本部からどんな命令がこよとうとも、おまえの手元にある間だけは不自由なく、お客様扱いにして、この人の一生のよい思い出をつくってやれ」
と頼んで、その帰り際にそのアメリカ兵に、
「いずれまた縁があったら、お目にかかるときが来るかもしれない。その日を楽しみに、今日はお別れしよう」
といって手を出した。中村天風「心に成功の炎を」日本経営合理化協会出版局 P.38~39
© 公益財団法人 天風会
天風先生の本ですが、いくつか感動する箇所があり、時には涙したシーンがあります。
この話は、この先のことも含め感動して涙したシーンです。
この記事を書くに当たり読み返し そのシーンを思い浮かべ当事者の気持ちを察したら、またグッと込み上げてきました。
作り話ではなく、事実であることに感動します。
最後に
敵を愛することを実践してきた事実は、数知れずあることでしょう。
いずれの話も表に出たのは、しばらくしてからのことで救われた方の行動によるものです。
後者は戦後になって、アメリカ兵がアイケルバーガー中将に具申して、GHQの力によって天風先生を探されたそうです。
救った方は全く自ら名乗り出ることなく、救われた方の申告によって明るみに出ていますが、「何か特別なことをした?」かのようにおられたことに感動しています。
敵を愛することを実践してきた方がいた一方で、今でもいわゆる'パワハラ'で同僚ですら甚振る(いたぶる)人もいます。
そして、自分の業績を上手く申告した者が・・・という状況もあるでしょう。
自分のことしか考えず人を愛せない人は、人の心を汚すことのないように、人に迷惑をかけないように、無人島にでも行って暮らして欲しいものです。
道路など所かまわずゴミを捨てる人も同じです。
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