思想

厳しい指導や苛察の弊害 能力を発揮できないわけ パワハラは論外

こんにちは! 健史です。

仕事やスポーツにおいて、厳しさや苛察(かさつ 後述)をもって指導?している人がいます。

この記事での「厳しさや苛察」は、相手が委縮したり「また怒られる、不愉快になる言い方をされる」というようなことで「恐れる気持ち」とします。


そうした状況で能力が発揮できない理由は、

恐れる気持ちが10%,20%・・と 心の何割かを占め、心を100%使えない

からで、組織の生産性・能率を低下させています。


十数年以上前そうした状況を目の当たりにし悪影響を受けたことがあり、思いついたことなので記事にしました。

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苛察について

自身が持っている知識や経験から、相手が知らない・気づくことができないことを知っていながら「あれはどうする?、これはどうする?」と責めたてているかのように言い放つ人がいます。

個別の指導や教育は、自分の知識や能力を主体に考えるのではなく、相手の知識や能力を起点に考え、気付いていないことや知らないことを「この部分が分かっていないんだぁ」と認識し、レベルに応じてカスタマイズした対応が必要です。


安岡正篤先生の書、佐藤一斉先生の『「重職心得箇条」を読む』からです。

衆人の圧服する所を心掛くべし。
無利押し付けの事あるべからず。
苛察を威厳と認め、又好む所に私するは皆小量の病なり

「苛察」とは、ああかこうかと詮索すること、うるさく立ち入ることです。
「少量」とは、度量が小さいこと。

安岡正篤 「重職心得箇条」を読む 致知出版社 P.48-49

しかも意識的にか無意識なのか周囲にも聞こえるような声で。

当事者でなく周辺の方にもストレスを与えています。

何十年前のやり方・させ方をしているのでしょう。

それを威厳と思っているのでしょうか。

佐藤一斉先生は、「苛察を威厳と思って行動するのは、度量が小さい人間の病気である」と言っています。病気だから治さないといけません。

そもそも真の威厳とは自ら意識的に示すものではなく、相手が自然と感じ取るものだと思います。

心の仕事について

中村天風先生によれば、心の仕事は物事を考えることです。


周りを見てみると、坐っている椅子ひとつにしてもスマホやパソコンにしても人間の心が思い考えて作ったものです。

地球上のいろいろな進展は自然に起きたことではなく、全て人間の心が考えたことが実現した結果です。

スポーツでも同じことで、心が肉体を動かしています。何も考えずに走る、バットやラケットを振る方はいないでしょう。


「心を100%使いたい、使わなければならない」のに恐れる状況にあったら、恐れる気持ちが心の何パーセントかを占めて力を100%発揮できません。

スポーツでの練習の時も同じです。

本人は気づかないかもしれませんが、どんなに集中しているつもりでも。


そしてそうした気持ち・感情は、徐々に潜在意識に刻印され心が汚れていきます。

もっと進めば、ミスを連発するようになることもあるでしょう。

怒られたりミスしたりするために仕事をしているわけではなく、遡ってみると怒られたりミスしたりするためこの世に生まれてきたわけではありません。

天風先生がインドの地で肺結核を治すために修行しているとき、師匠のカリアッパ師から「お前ねえ、人間、この世に何しにきたか考えたことがあるかい」と問われ、2~3カ月ほど経過したときのやりとりです。

私は、じっくり考えてみました。
この世の中のすべての進化も向上も、ひとりでに進化し、向上したんじゃないじゃないか。
人間の頭で考えた事柄がいろいろの設備や組織になって、この世の中が進歩してきている。
そうすると、俺も人間の一人だ。病に明け暮れ、小さな人生に生きているのが俺の人生じゃないはずだ。
それをだれの注文も受けずにこの世に出てきましたなんて、無鉄砲なことを言っちゃったんだけど、ああとんだことだと・・・・・

中村天風述 成功の実現 ©公益財団法人 天風会 1988 P.86

下等なリーダー

もう1つ紹介します。

佐藤一斎先生の言志四録からです。原文は省力しています。

自分を厳しく責める人は、人を責めるときも厳しい。人に思いやりのある人は、自分に対しても寛容である。しかし、これはいずれも厳か寛に偏っている。
立派な人は、自分を責めるのは厳しいが、人を責める場合は寛容である。

第30条 原文 省略

部下が失敗した場合、上司面して怒っている人がいるが、すんでしまったことをいまさら怒っても無駄である。
失敗の分析は必要だが、それよりも、まずは自分の指示や手配に落ち度はなかったかを反省し、そのうえで相手の自尊心を傷つけないように叱ることだ。
リーダーで最も下等な人は、自分の責任を棚に上げ、上司面して部下をこれ見よがしに怒る人である。
人を活かす愛のある叱り方をしないようでは上司の資格はない。

佐藤一斎[著] 岬龍一郎[翻訳] 言志四録 株式会社PHP研究所 P.26-27

翻訳された岬龍一郎さんが補足された内容に感銘を受け紹介しました。

岬さんは'怒る'と'叱る'を明確に使い分けておられます。

「怒る」と「叱る」の違い|実はこんなに違う!5つのポイント! | 極和ファシリテーター大塚真実の Official Page
「怒る」と「叱る」の違いは?あなたは明確に答えられますか?ともすると「どっちも同じだ!」なんて思っていませんか?「怒る」と「叱る」は『似て非なる言葉』の代表じゃないかと思います。 「怒る」と「叱る」の一番の違いは、誰のためか?ということです。「怒る」は自分のため!「叱る」は相手のため!ですね。更に詳しく説明します。

最後に

論語に「思うて学ばざれば則ち殆(あやう)し」とある通り、人や書籍から学ぼうとせず自分で考えるだけで何十年も前のやり方を正だと思っていることは危険です。

それは本人だけでなく組織そのものも危うくなります。


仕事やスポーツなど協同作業に関しては、長い間リーダーシップ論が研究されており、何年か前からはコーチング論も登場しています。

いずれも実践本やセミナーなどあり、現場で応用しやすくなっています。

そうした教育は、仕事の能率や生産性向上に大きく寄与し、組織力を高めます。


賢いリーダーや監督・指導者は、そうしたことに気づき対応して見えないところで差別化を実現し、秀でる製品やサービスなどを生み出し成長や業績を伸ばしているだろうと思います。

そうした成長や業績を生み出しているのは、人間の心が考えたものなのですから。

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